本日、誕生日。40歳という節目の年を迎えました。変なタイトルのエントリーをします。
今の自分があるのは「多くの方にお世話になっているんだな〜」と
強く感じる誕生日になりました。
FBでは、0時をまわったあたりからお祝いメッセージが続々とウォールに書き込まれ
携帯メールやSMSも届き、海外からもお祝いが。
D2C設立準備は27歳の頃。28歳で参加し、12年間東奔西走してきた訳です。
集計した訳ではないですが、交換した名刺は2万枚以上あるはず。
3万枚まではいってないぐらい。本当に多くの方にお世話になってきたんだなと・・・。
これからも縁を大切に、関わりある方を裏切る事なく
頑張りたいと思います。
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ふと、人生を考える。
人生80年と考えると、折り返したことになる。
僕の生活パターンだと80歳までは生きれないだろう。
とすれば、半分もないわけだ。
悔いをしないで死ぬ為には、何をしないと駄目なのか?
僕の会社での役割は何なのか?社会での使命は何なのか?
家族にすべき事は何なのか?
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大学3年のときに、社会人が勉強する企画塾に入塾した。
その時の第一課題は「人生企画」だった。
死ぬタイミングを設定して、そこから逆算して
「どんな人生を歩みたいか?」考えてプレゼンするもの。
二十歳そこそこの若造で、これから社会にでて、合コンしたり
旅行したり、結婚したりと人生を謳歌することに胸を躍らせているときに
いきなり「死」がテーマって・・・。
なので、その時に設定できたのは、45歳ぐらいまで。
漠然としたイメージで、こんな生き方をしたいな〜ってぐらい。
社会人の前でプレゼンして、「宝珠山君の言ってるのは、目的?目標?最終ゴールは何?人生の意義は?」なんて、質問されて駄目だしされて・・・
30歳の時に再確認。
60歳までが社会人だとしたら、45歳は丁度半分。
であれば、「人の倍働いて、人の倍成果を出そう!」とマイルストーンを修正。
D2C=モバイル業界に居たので、ライフワークに設定し
この10年走ってきたつもりです。
が、まだまだ駄目だな〜、足りないし、追いついてないな〜。
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40歳は「不惑」といわれます。
が、惑わされずに、進めるようになるにはまだまだだ。
どちらかというと、「少年老いやすく学成りがたし」(笑)
5年、10年、15年、20年のスパンで再度、人生企画を
作り直さないと、悔いの残る人生になりそうだな〜。
詳細は別途作るにして、とりあえず、今やろうと思っている事を列記!
・家族との時間を増やす!
・体力向上!=トライアスロン開始!
・年間読書量を設定!
・英語、中国語勉強を再会!
うーん、すべては酒量を減らす事から開始だな(笑)
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最後にサミュエルウルマンの詩「青春」を転記しとこう!
青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。
人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。
悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。
六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。
人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。
自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。
希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。
自然や神(唯一神)や他者から、美しさや喜び・勇気や力などを感じ取ることができる限り、その人は若いのだ。感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、人間は真に老いるのである。そのような人は神のあわれみを乞うしかない。
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悔いのない40代を過ごしたいと思います。
これからも皆さん、よろしくお願いいたします!
PS:本日は、休みをいただき、子供を連れてディズニーランドに。